

学校に通うかたわら、アドルフ・ランゲは高名な時計師グートケスのもとで見習いとして時計作りを学びます。 時計師としての才能をすぐに見抜いたグートケスが、ことのほか目をかけたアドルフ・ランゲは当時15歳。 手先が器用で努力家、頭も良い少年でした。

アドルフ・ランゲの修業の旅
見習いとしての下積み期間を終えて時計師となり、修業の旅に出たランゲは、ヨーロッパ各地で当時名門の誉れが高かった時計師の工房を訪れます。 旅の途上で彼が多くの知識を蓄え、時計に関する研究を緻密に進めていった様子が、彼の綴った「旅の記録」からありありと伝わってきます。 その中には、ムーブメントの部品を精密に製造するための計算結果や正確な図面があちこちに書き込まれています。
たくさんの新しいアイデアをかかえて、アドルフ・ランゲは1841年にようやくグートケスの工芸時計工房に帰ってきます。 その知識の深さによって、彼はすぐに時計の共同製作における牽引役となっただけでなく、師匠の娘アントニア・グートケスと結婚して、工房の共同経営者にもなりました。

気高い人格の男
時計作りの非凡な才能で頭角を現したアドルフ・ランゲでしたが、その一方で自らを顧みずに人を思いやるやさしさをも備えた人物でした。 そんな人柄の彼には、エルツ山地地方で日に日に悪化していた困窮の様子を黙って見ていることはできず、ドレスデンの仕事や地位を惜しげもなくなげうって、エルツ山地の町で時計工房を創業します。 そうすることで、食べることもままならない人々に、ふたたび仕事と生活の糧を与えようとしたのです。

