世界的成功への道のり
アドルフ・ランゲが亡くなった後に、ふたりの息子エミールとリヒャルトが会社の経営を引き継ぎますが、会社の名称は1868年にはすでに、A.ランゲ&ゾーネ (A.ランゲと息子たち) に変更されていました。 その年にリヒャルト・ランゲが工房の共同経営者となり、弟エミールもその三年後にリヒャルトの傍らで経営に携わるようになっていたからです。
兄弟ふたりで力を合わせて開発を重ねたA.ランゲ&ゾーネの時計は、やがて完成されたメカニズムと芸術的な美しさを備えた逸品となり、名門工房として今日まで高い評価を受けているA.ランゲ&ゾーネの基盤を築きました。 特にリヒャルト・ランゲは、父親譲りの時計作りの才能を発揮します。 父の教えを忠実に守るかのように、時計の設計に最新の科学技術を取り入れることで、彼が発明し、会社の名前で登録した特許と実用新案の数は、あわせて27件にものぼります。
ザクセンの発明精神について
彼の発明の中で最も重要な技術は、「時計ゼンマイ用金属合金」という題名の特許に記載されています。 リヒャルト・ランゲは、それまで時計のヒゲゼンマイ用に使用されていた合金の特性を、ベリリウムを添加することで大幅に改善できることを発見したのです。 このことから彼は、高品質の機械式時計のヒゲゼンマイに現在でも多く使用されているニバロックス製ヒゲゼンマイの精神的生みの親であるとも言われるようになりました。
自主開発・自社生産のヒゲゼンマイ
スルタンに贈呈された懐中時計
こうしてA.ランゲ&ゾーネは、名門の誉れ高き工房として高い評価を得るようになり、その評判がドイツ皇帝の耳にまで届きます。 トルコ公式訪問に持参する贈呈品として、A.ランゲ&ゾーネに作らせた豪華な懐中時計を、皇帝がオスマントルコ帝国のスルタン・アブドゥル・ハミッド二世に贈呈したのは、1898年のことです。
名門としての評価、そして高精度時間計測の分野における実績と数多くの特殊技術があったおかげで、A.ランゲ&ゾーネは企業として世界大恐慌の混乱を乗り切ることができましたが、一方では多くのマニュファクチュールが廃業に追い込まれていきました。 その苦難の時代に会社の舵取りを任されていたのは、時計師一族ランゲ家の三代目にあたるオットー、ルドルフ、ゲルハルトの三人で、第一次世界大戦終戦直後に会社の経営を引き継いでいます。